私がゲーム業界に飛び込んでから40年。この間様々な環境の変化がありました。今回は自分が担当してきた機種を振り返りながら、環境の変化を見ていきたいと思います。なお、これは内藤目線でのお話なので、正しい歴史とは異なっているかもしれない点は、予めお断りしておきます。
※ ゲーム歴史警察の皆様、お手柔らかに^^;
※ ゲーム歴史警察の皆様、お手柔らかに^^;
- 8bitパソコン時代
自分がプロになって初めて担当した機種が NEC PC-8801シリーズです。それまでキャラクタ文字を画面に表示することで、ゲーム画面を構築した事しか経験がなかった私にとっては、初めてのグラフィック画面アクセスでした。最初に画面に四角を表示させるまでに、一週間ぐらいかかった記憶があります。そこから僅か3ヶ月後には、コスモミューターというゲームを完成させています。個人的には商業第一作目ということで、大変思い入れがあるタイトルとなります。
半年後にはハイドライドを作ります。この時のマシンは確か PC-8801mk2 でした。初代 PC-8801 と比べるとデザイン的に一気に洗練されたなあというイメージでした。また、この 88mk2 で一気に FDD が身近になった気がしています。音はピコピコとしか鳴らせませんでしたが、まあ、なんとなく音楽再生を作れてしまいました。この頃は自分で言うのもなんですが神がかっていた気がします。いろいろ作れちゃってる時期です。
その後、PC-8801mk2SR/MR が発売となります。ALU というRGB同時書き込みが強力でした。CPUクロックも2倍になってなんでも出来そうな気になった覚えがあります。MRはそれに128KB増設RAMが付いていたのですが、正直少なすぎて使い所に困りました。なので、キャッシュRAMとして使うことに。同時期にアイ・オー・データ機器から 88 用の 1MB増設RAMが発売になったので、勝手に対応させています。
あと、88SR といえば FM音源ですね。ただ、この頃になるとサウンド担当がドライバまで作っちゃってた(大元は私が作ったのですがサウンド的によろしくないとの事で作り変えられた覚えががが)ので、自分は実はまともに FM音源は弄っていないんですよね…。
※ とりあえずは読み物として面白いやら懐かしいやら。- 16bitパソコン時代
数年後、PC-9801 系に移行しています。アセンブラは OPTASM。MAKE と OLINK を組み合わせて作っていた気がします。最初の頃は、PC-9801 は開発機として使っていました。クロスアセンブラでアセンブルして、リンクして、FDD に書き込んで。PC-8801 実機に FD 差し込んで、岩崎技研のPROICE-Z80 を起動させて、シンボルファイル読み込んで、動作させてバグが出たら、ブレーク張ってトレースしてレジスタやメモリの変化を確認して…と、開発環境的には劇的に変化していった時期でもあります。
- コンシューマゲーム機
私が初めてコンシューマ機に触れたのは、ファミコン(FC)でした。ですが、直接担当したわけではなく、FCハイドライド3 の開発の管理監督中に、後ろから見ていたら 6502 をなんとなく理解してしまったので、ちょこちょこ弄らせてもらった気がします(気…だけかもしれません)。
後継機のスーパーファミコン(SFC)は私は一切の接触機会はなかったです。メガドライブもイジってないです。私は長い間 NEC 一本槍でした。ただ、その後は管理職的な立場になったので、プログラミングは少し遠のきまして、セガサターンタイトルの開発監督であったり、3DO 開発の管理監督だったりをしています。
自分が独立後 PCエンジンを弄るタイミングがあったのですが、弄ったのはネイティブではなくて、でべろBASIC でした^^; その後、でべろはサターンに対応して、そこでサンプルゲームを作ったりもしました。そして、SCE(現在のSIE)と契約して PlayStation(PS1)開発機を手に入れて、2タイトル作成。3タイトル作成中に資金切れで幕引きとなっています。
- Windows プログラミング
自分の会社を閉じた後、お誘いもあって専門学校の教師となりました。ここではゲーム機開発もあったのですが、私はもっぱら C言語や C++ 等の言語系を教える立場になっています。ゲーム的な要素としては DirectX です。これは教職員になってから覚えました。WinG から DirectX に変わって日が浅かったこともあり、毎年教える内容が変化し続けたのはなかなか厳しかったです。
あと、なぜか MFC(Microsoft Foundation Class)を教えることになり、勉強しながら学生にも教えるという、自分的には大変厳しい環境で覚えていった記憶があります。当時は個人的には BCB4(Borland C++ Builder 4)を使っていたこともあり、MFC がとても面倒くさかったのですが、自分でクラス拡張をして使いやすくして、それをまた学生にフィードバックしてという事を繰り返していたら、それなりに MFC 使いになってしまったなあ^^;
実は教職員として採用された時点で、私はイベントドリブンスタイルのプログラミング未経験だったんです。C++言語も未経験。オブジェクト指向も未経験。こんな状態だったので、本当にいろいろ焦りました。BCB4 に出会ってなければ、今の自分はなかったかもしれません。この流れで現在 C# が大好きなのかもしれないですね…
そして、最新は先に挙げた C# と Unity です。C# は C / C++ の不備をまとめて解決するような便利な命令が多数用意されています。あまりにたくさんあるので、いきなり C# から始めるとたぶん苦戦するかもとは思いますが、C++ 辺りから入ってきた人には、凄く夢のような世界が待っていました。ラクチンすぎて怖いぐらいです。ただ、欠点は実行速度が遅いことです。本当に遅いんです…が、近年、PCの性能向上が目覚ましいこともあって、この遅いという問題は現在はほぼ感じられなくなっています。
Unity は私にとってはゲームツクールです。与えられた部品(クラスオブジェクト)を適切にはめ込んでいくだけで、ある程度の雛形は出来てしまいます。簡単ですが、その分、少し凝ったことをしようとするといきなりハマったりします。なんていうか Unity独自のお作法というのでしょうか。それに自分を合わせていかないと、とても苦しい思いをしたりします。
- そして現在…
今は様々な環境を弄られる立場にあります。この10年で私が弄ってきた環境は、PSP、3DS、WiiU、Switch、PS3、PS4、PS5、XboxOne、XboxSX、Steam、GameGear …最後のはちょっとおかしいですよね😂
GGアレスタ ©SEGA ©M2 Co.,Ltd.
還暦になってもまだこれだけの環境でゲーム制作の立場にいられる事を幸せだと感じています。これは関係各位、そして、応援してもらえてる皆様のおかげであると、ひとえに感謝しています。本当にありがとうございます。
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還暦になってもまだこれだけの環境でゲーム制作の立場にいられる事を幸せだと感じています。これは関係各位、そして、応援してもらえてる皆様のおかげであると、ひとえに感謝しています。本当にありがとうございます。
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