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いやー、これにはまいりましたね…。自宅のローン支払いはまだ数年残っている状態です。なんとしても収入を確保しなくてはいけない。とはいえ、東海地方のゲーム関連企業はすでにほぼ頭打ち。そこでリクルート系のかなりの場所に、自分を登録しました。いくつか面接までは行ったものの、年齢がネックになるらしく、どこも採用までは行かない状態でした。最終面接で実際の飛行機の操縦パネルのプログラミングみたいなのもあって、是非携わりたかったのですが、内藤さんはうちにはもったいないとかなんとか、適当なことを言われて撃沈しました。
仕方がないと、東海エリアから徐々に大阪や東京と、どんどん範囲を広げていきます。関西方面の某ゲームメーカーでは、最終面接まで行ったのですが、実際に行ってみたら「内藤さんにお会いしてみたかった」という理由で呼びつけられただけとか、もうね、この時の気持ちたるや心のなかで大瀑布ですよ。帰りの新幹線内でずっと落ち込んでいました。東京方面も何社か面接までは行ったのですが、似たような感じで。一社、内藤さん、やりたいことはないのですかと聞かれたのですが、その時は「何でもいいから仕事に就かなきゃ」の一心で何も思いつかなかったです。今から思えば、何かしら明確な作りたいものがあれば、スポンサーになる感じでバックアップしてもらえたのかなと思えますが、当時はそんな余裕すら無く…
半分諦めかけていて、コンビニとかでバイトもやむなしかと消沈していたところ、ディレクター募集のツイートが。それが今の会社エムツーのボス、堀井社長の呟きでした。そこで藁をも掴む気持ちで応募したところ、DM でいきなり「内藤さんっすかー!?」みたいなノリで反応がありまして。
正直、また会いたいだけってパターンかと身構えてしまいました。千葉の本社まで面接にと言われまして、半分諦めてはいたので、観光半分で妻を引き連れ、面接の翌日に千葉県のゴルフ場に予約を入れて、今生の別れみたいな気持ちで本社に伺いました。面接は、なんか私が一方的に2時間ぐらい好き勝手に話してた気がします。そして、ああ、またダメだったかなあと思いながら、国道16号の大渋滞に巻き込まれながら、市原市の宿に向かって2時間走りましたです。
名古屋に戻ると、合格の知らせが。そこで、名古屋を離れ、千葉県我孫子市にアパートを借りて、異国の地で仕事をする決意をするに至りました。ボスには今でも感謝しまくっております。無事、自宅のローンも完遂しました。子供たちは仕事に就き独立して仕事をしています。今でこそ、名古屋に戻ってテレワークで仕事ができていますが、当時はその発想はなく、やはり面と向かって仕事を進めるスタイルではありました。ただ、今から思えば、結局はモニターに向かって仕事してたから、モニターに向かうという行動が同じなら、勤務地はどうでも良かったなと思ってはいます。
いやー、マジで無職になるかと思いましたわ。まさに無職転生^^;
バッファロー
2023-09-04
※ テレビの録画用にはこれが一番場所を取らないです。
※ テレビの録画用にはこれが一番場所を取らないです。
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